第二十五章 本多佐渡守の奸計
その夜、寝所に入ってしばしの時が経った頃・・・。
「上様」
「誰か」
「本多正信にござりまする」
「くるしゅうない。入れ」
「ははっ」
襖が開くと、正信が平服していた。
「何事か」
「豊臣家のことにござりまする」
「豊臣家がどうしたというのじゃ」
「豊臣家を滅ぼさぬ限り、天下統一は成し遂げられませぬ」
「分かっておる」昌幸は家康ゆかりのこの謀臣がどうも好きになれなかった。家康からは「友」と呼ばれていた。
「充分承知じゃ」昌幸は苛立たしげに応えた。
「同盟の期限はあと十一ヶ月ござりますれば、豊臣家を滅ぼす猶予は充分ござりまする」
「何が言いたい」
「我に一策あり」
「何じゃ、申してみよ」
「豊臣家を朝敵になされませ」
「朝敵じゃと!?」
「さすれば内部分裂は必定かと」
確かに正信の言うとおり、豊臣秀吉亡き後、豊臣家は武闘派と官吏派の二手に分かれていたが、武闘派はその後ろ盾でもあった徳川家が滅びてからというもの、急速に勢いを衰えてさせていた。
細川藤孝・忠興親子は既に浪人の身となり、福島正則も滅ぼされ、九州に残る加藤清正は、南から島津、東から長宗我部に押され、既に命運は尽きている。見回してもめぼしい敵は見あたらず、三成派で豊臣家は一つにまとまったと言って良い。つまり調略による分裂は不可能・・・。
「朝敵にすれば家臣の離反も考えられ、我が方に寝返る城主も出てくるかと思われまするが・・・」
「分かった。考えておこう」
「では・・・」