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第二一章 天下統一

以後、勝頼は40万の軍勢を三つに別けた。上杉景勝、直江山城守率いる10万は丹波の山深き道を通って山陰地方に侵攻、手薄になっていた城を次々と落としていった。

徳川家康、佐竹義重率いる佐竹衆は姫路城より山陽道を西進、こちらも首尾良く城を落としていった。仁科盛信・伊達政宗率いる第三軍は堺港より四国に上陸し、島津方の城を席巻。瞬く間に四国、中国地方に武田菱の旗が翻った。

「岐阜城より東の領国はすでに各城主に委任させておる。放っておいても兵や物資を運んでくれるから楽じゃのう」

「まことに」

「残りは九州と紀州の南端、それに敦賀か」

「既に島津の本隊は機内に出払っております故、九州の城には守りの兵がほとんどおりませぬ。赤子の手を捻るよりたやすう御座りまする」

「では九州征伐は黒田かんぴょうえに任せるとするか」

「仰せの通りに・・・・・・」


黒田官兵衛が九州を席巻している間に、勝頼本隊は敦賀・紀州攻めの手筈を整えていた。九州平定の報が官兵衛より入ると、全軍を敦賀港に進撃させた。20万の兵で犇(ひし)めいていた敦賀港は、武田軍の烈火の如くの猛攻により混乱を極めて瓦解。

残る紀州港の10万も同じく攻め、占拠。ここに武田勝頼は天下統一を果たした。1608年のことであった。

(了)